「新極真会 徳島北東あわじ支部 前川道場」 に籍を置きます、 空手大好き人間 「生涯武芸者」 と申します。道場での日々や、空手に対する自分の考え等、空手に関する事を、色々記録していきます。
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全ては一つです。
須藤元気(タレント)
<解説>
押忍
つき詰めてみると、
全てのモノは、「原子」 からできています。
私を構成している肉体も然り、何にしたってそうです。
「モノとは詰まるところ、原子の集まりです」。
では、私とは何なのか?
「私とは脳です」・・・・なるほど。
でも、その脳もまた、原子の集まりで、できているのだった・・・。
脳が原子なら、私とは一体何なのか?
でも 自分を自分と自覚する 「私」 は、現にここにいる。
たぶん 「存在」 の謎は、人生究極の問いなんです。
上記は全て、受け売りです。
でもなるほど、確かに不思議だな・・・・と、
空手の 「空」 を取ったと言われる、「般若心経」 も、
訳してみると概ね、ちょっと違うかも知れないけど、
そんな風な感じのコトを言ってる様ですが、
この点、 「空手」 と 「それ」 とは全く、無関係ではない・・・と思います。
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深海に生きる魚の様に
自ら燃えなければ、どこにも光はない。
明石海人(詩人)
<解説>
押忍
「これは旨いコト言うな」 と、思わずヒザを叩きました。
なるほど、深海に生きる魚ときましたか。
とどのつまりは、自分次第・・・・といったトコロでしょうか。
ならば太陽の様に燃える、魚でありたいですね。
一片の淀み無く・・・己が道を貫く・・・
簡単な様で・・・何と・・・難しい事・・・よ。
魚沼宇水(るろうに剣心より)
<解説>
押忍
るろうに剣心は、私が知りうる全てのマンガで、
間違いなく、5本の指に入る名作でしょうか。
盲目の達人 「魚沼宇水」 が、新撰組の 「斉藤一」 に倒され、
死ぬ間際に言った言葉です。・・・・が、これには続きがあります。
「斉藤・・・お前はこれから・・・近代化する明治で・・・どこまで刀に生き・・・
悪・即・斬 ・・・を貫ける・・・か・・・な・・・」。
ここで宇水は、静かに息をひきとります。
そこで、斉藤が言い放った一言が、また渋い。
「無論 死ぬまで」。
学ぶ心さえあれば、
万物すべて、これ我が師である。
松下幸之助(松下電器創業者)
<解説>
押忍
個人的に、好きな言葉です。
本当の意味での 「顕著」 とは、
きっと、こんな心の状態をいうのでしょう。
私は、いつの間にか、くだらない 「我」 とか 「欲」 とかが、
出て来てしまってる時が、多々あるんで、
この言葉を思い出し、いつも顕著でありたいな・・・って思います。
ぼくダルマになる。
約束するよ、おばあちゃん。
のび太(ドラえもんより)
<解説>
押忍
ドラえもんは、中々どうして 名言の宝庫です。
なるほど、七転び八起きのダルマさんになる・・・・と、
これはもう、空手の枠組みを乗り越えて、シンプルながらも、
あらゆる時代・・・あらゆる人に通用する 「至言」 だと思います。
私もダルマになりたいと思います。