「新極真会 徳島北東あわじ支部 前川道場」 に籍を置きます、 空手大好き人間 「生涯武芸者」 と申します。道場での日々や、空手に対する自分の考え等、空手に関する事を、色々記録していきます。
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押忍
私は、週に一度、近所の海や、山を見に行きます。
何故かっていうと、とっても癒される気がするからです。
突き詰めていくと、武道は、
「どこまで自然に帰るコトができるのか」
・・・だと思います。
そして最近、「自然」 がそこにあって、
「自分」 がここにいる・・・んじゃあなく、
人間そのもの、それ自体が既にもう
「自然」 じゃあないか・・・と、思う様にもなってきた。
極真会館創始者 故 大山倍達総裁が、
山に篭って修行したのは有名な話ですが、
俗世間を離れ、自然の真っ只中で暮らす
「山篭り」 は、自然の中の一部の、
自分を感じる意味でも、
とっても意味があると思います。
だから先日、近所の神社で、
型 「三戦(サンチン)」 をやってきました。
型 「三戦」 は、当道場では
「茶帯」 になってから、習う型ですが、
一見、単純な動作一つ一つの中に、
深遠極まりない意味が、隠されているらしく、
誕生したとたん 「七歩歩いて、天地を指した」
・・・といわれる拳法の達人 「釈迦」 は、
型 「三戦」 そのものでは無いにしろ、
一説ではこれと 「同質の型」 をやった
・・・と、言う人もいます。
そんな神秘的なコト、この上ない型 「三戦」 を、
近所の神社でやってたワケですが、
途中、 「蚊」 の大群に襲われて、
あちこち噛まれて、メチャ かいかったので、
二回で辞めて、家に帰りました(笑)
私は、週に一度、近所の海や、山を見に行きます。
何故かっていうと、とっても癒される気がするからです。
突き詰めていくと、武道は、
「どこまで自然に帰るコトができるのか」
・・・だと思います。
そして最近、「自然」 がそこにあって、
「自分」 がここにいる・・・んじゃあなく、
人間そのもの、それ自体が既にもう
「自然」 じゃあないか・・・と、思う様にもなってきた。
極真会館創始者 故 大山倍達総裁が、
山に篭って修行したのは有名な話ですが、
俗世間を離れ、自然の真っ只中で暮らす
「山篭り」 は、自然の中の一部の、
自分を感じる意味でも、
とっても意味があると思います。
だから先日、近所の神社で、
型 「三戦(サンチン)」 をやってきました。
型 「三戦」 は、当道場では
「茶帯」 になってから、習う型ですが、
一見、単純な動作一つ一つの中に、
深遠極まりない意味が、隠されているらしく、
誕生したとたん 「七歩歩いて、天地を指した」
・・・といわれる拳法の達人 「釈迦」 は、
型 「三戦」 そのものでは無いにしろ、
一説ではこれと 「同質の型」 をやった
・・・と、言う人もいます。
そんな神秘的なコト、この上ない型 「三戦」 を、
近所の神社でやってたワケですが、
途中、 「蚊」 の大群に襲われて、
あちこち噛まれて、メチャ かいかったので、
二回で辞めて、家に帰りました(笑)
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