「新極真会 徳島北東あわじ支部 前川道場」 に籍を置きます、 空手大好き人間 「生涯武芸者」 と申します。道場での日々や、空手に対する自分の考え等、空手に関する事を、色々記録していきます。
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真の武とは、
相手の全貌を吸収する引力の練磨。
だから私は、このまま立っていればいいんです。
植芝盛平 (合気道創始者)
<解説>
押忍
「達人 塩田剛三」 の師匠である植芝氏。
飲みたい時も飲まず、食いたい時も食わず、
遊びたい時も遊ばず、寝むたい時も寝ず・・・。
なにゆえ武道家は日々、技を磨くのか?
そう・・・とどのつまり、それは
「引力」 を身に付ける為だったのです。
なるほど・・・とっても頭の中がクリアーになった思いです。
・・・ですが、それにしてもしかし、
そんなブラックホールの様なコトが、
果たして本当に可能なのでしょうか?
しかし、そういえば・・・と、思い当たるコトがあります。
前川師範や逢坂師範に、組手を受けて頂いた時に、
スゥー・・・っとこう全身が、
吸い付けられる様な感覚が、した時があります。
あれは果たして、気のせいだったのでしょうか?
いや・・・気のせいなんかじゃあない。
そんな 「目には見えない力」 が、そこにはあった。
そう・・・それは、
「無い」 んじゃあなく、確かにそこに 「在った」 んです。
(確かに・・・マジで)
あくまで個人的に、そんな辺りにも、
とってもロマンを感じるのです。
<植芝氏の動画>
命もいらず、名もいらず、
官位も金もいらぬ人は始末に困る。
西郷隆盛(政治家)
<解説>
押忍
薩摩藩士 西郷隆盛にして、こうまで言わしめたのは、
幕末の剣聖 「山岡鉄舟」 です。
勝ちに三つの勝ちあり
戦って勝つは、下の勝ちなり。
勝って打ち込むは、中の勝ちなり。
戦わずして勝つは、上の勝ちなり。
既に、「戦わずして勝つ境地」 に、
あったと思われる山岡氏は、
「江戸城無血開城」 の影の立役者です。
これ程までの偉業を成し遂げ、
刀を抜けば、必ず相手を倒せる腕前を持ちながらも、
生涯、人を斬らなかったと言われる山岡氏は、
まさに 「武道家の鏡」 と、
言えるんじゃあないでしょうか?
なるほど・・・命も名も、地位も金もいらんと・・・。
到底、私には生涯無理な境地です。
そして西郷氏の名言は、こう続きます。
「この始末に困る人ならでは、
艱難を共にして国家の大業は成し得られぬ」
と・・・。 そんな山岡氏。
最後は、座禅を組んだまま亡くなったといいます(享年53才)
「ラストサムライ」 山岡鉄舟の生き様は、
伝説となって後世に、語り継がれていくコトでしょう。
あまりの暑さで、道場内が
サウナ状態になってしまった7月27日。
当道場夏季昇級審査会が、
本部道場 「超腕ジム」 にて行われました。
総勢、約30名ほどの受験者がおりましたが、
なにせ、ジッと立ってるだけでも、
脱水症状になりそうなこの暑さ、
中には途中、気分が悪くなってしまう人もいましたが、
到底、無理もありません。
この暑さの中にあって、
全ての課題をやりきった受験者の皆さんは、
それだけでも十分、驚くべきコトかと思います。
そしてもう1人・・・今日がホントに、
お別れの日となってしまった坂本指導員。
その 「送別組手」 が審査の後、行われました。
対戦相手を務めたのは、14名。
前川師範 有働先生 野口先生 福永さん 美馬さん
楠さん 嵯峨山さん 曽川さん 島さん 中村さん
岡田さん 藤江君 山本君 私。
一分交代で、入れ替わり立ち代りの「14人組手」です。
しかし、それにしてもこの暑さ、
さぞ苦しかったコトでしょう・・・が、さすがは坂本君。
後半、フラフラになりながらも終始、高度な技を繰り出し
懸命に、最後まで戦い抜いたのです。
個人的にもこれまで、彼から学んだコトはあまりに多く、
とても一言では言い現せません。
そして最後にも、素晴らしい感動を与えてくれました。
彼が東京にいってしまうのは、とても複雑な想いです。
しかし 「全ては必然」 と言います。
東京が彼を必要とし、東京が彼を呼んでいるのです。
彼ならばきっと、聞く人に感動を与える様な、
「芸術的な音楽家」 になれるコトと思います。
今まで、本当にありがとう。
影ながら前川道場一同、いつも応援してるよ。
世界へ「翔け」! 坂本翔!
自分のベストを尽くすだけ。
後はもう、なる様にしかならない。
考えるより、まず動けばそれでいい。
中田英寿(サッカー選手)
<解説>
押忍
考えるというコトは、「架空の世界」 を生きるコト。
動くというコトは、「現実の世界」 を生きるコト
・・・・・とも、言えるんじゃあないでしょうか?
頭の中で物事を解決できるコトが、優秀とされる世の中ですが、
なるほど、それは確かに優秀なコトと思いますが、替わりに、
実際に動くというコトが、とっても軽視されている様な気がします。
「運動」 の語源は、「運は動より生ず」。・・・・とはいえ
当然やはり、頭使って考えるという事も大事でしょう。
結論、どっちも均等に、バランス良くあるべきなのがベスト
・・・とは思うのですが、それもまた難しそうですね(笑)
人と比較して、
他人が自分より優れていたとしても、
それは恥ではありません・・・しかし、
去年の自分より、
今年の自分が優れていないのは、
立派な恥です。
ラポック(イギリスの探検家)
<解説>
押忍
今や伝説となった、フルコンタクト空手界のカリスマ。
日本最強最後の砦、「数見肇」 さん。
この方の試合で、あくまで個人的に、
最も感銘を受けた試合が、
「第七回全世界大会(松井派)」。
当時、最強の外国人、ブラジルの
「フランシスコ・フィリオ」 と 「グラウベ・フェイトーザ」
の双璧が待ち受ける、この大会で、
「ストップ ザ ブラジル」 の、周囲のプレッシャーを
一身に背負い、そんな中で、神掛かり的な強さを発揮し、
一国を代表する様な、屈強の外国人達を相手に、
一本勝ちの山を築き上げ、
やっぱり勝ち上がってきた、「グラウベ」を準決勝で下し、
一気に 「決勝」 まで上り詰めました。
結果、最終延長でも決着がつかず「試し割り判定」 にて、
惜しくも 「フィリオ」 に敗れはしたものの、
その圧倒的な強さと、
「芸術的なまでに、美しい組手」 は、
ファンを魅了してやみません。
この大会の前だったか、後だったか・・・
そんな数見氏が、こんな風なカンジのコト言ったのを覚えてます。
「四年前の 「第六回世界大会」 の時の
「自分」を、確実に倒すイメージで
稽古してきました」。
なるほど・・・「フィリオ」 でも 「グラウベ」 でもなく、
目指したのはあくまでも自分自身・・・
と、いうコトでしょうか。
(その 「第六回」 の時も、結果準優勝し、
その強さは既に 「異常」 という他、
無い程のモノだったのですが・・・。)
そんな数見氏・・・個人的にも、
とっても感銘を受けた、偉大な空手家の1人です。
夢をありがとう、数見さん。
(↓そんな数見氏の「第七回世界大会決勝戦」。
ケータイじゃあ見えません。)
(↓今や数見氏の、最後の戦いとなってしまった
「第34回全日本大会」。
後に、松井派の 「8代目世界王者」 となります、
「木山 仁」 選手との決勝戦・・・感涙ものです。)